やまなみグッズ つくり手をたずねて
相模湖焼 【相模原市緑区(旧相模湖町)】
○土さがしから釉薬まで、どこまでも地元産を貫く。地元の自然や歴史との対話が生み出した新たな「伝統工芸品」
○土鈴が原点

石井強さん
JR相模湖駅から国道二〇号線に向かって伸びる商店街の一角。店先に素朴な味わいの土鈴が一杯に並べられた土産物店があります。
「この町にある石という石はことごとく砕いて、焼き物に向いているかどうか調べました」と語るのは、この土産物店のご主人で、四〇年近く地元の材料だけを使い、焼き物を焼き続けている陶芸家、石井強さん。
相模湖焼が生まれたのは1964年、東京オリンピックの年。相模湖でオリンピックのカヌー競技が行われることになり、石井さんは世界中から集まる観光客のために相模湖にふさわしいお土産を、との思いから、地元の材料を用いて、土地の民話や道祖神を題材に土鈴を作ることを考えついたといいます。
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「土鈴はもともと『足結の鈴』といって古代の縄文人が足へ結んで、音を出し、猪や熊を追い払うのに使われたものなんです。ここから、悪いものを払うという意味が出て、神社などで、お清めに使われるようになったんです。さらにお宮参りにきた人々にお払いをした小さい鈴を魔除けとして下げ渡した。これが『宮下げ』つまり『みやげ』の始まりなんですよ」
なるほど、ただの土の鈴と思っていましたが、土鈴には日本人の歴史と深く関わったそんな長い物語があったですね。
○材料探しに10年
この土鈴に使われている粘土をはじめとして、表面を滑らかにするために釉薬に混ぜるススキの灰まで、相模湖焼に使われる材料は、石井さんが自ら相模湖周辺を歩き回って、10年がかりで探し出したものばかりだそうです。
「相模湖の周辺には、焼き物にまつわる地名が数多く残っており、よい材料も取れることから、昔は鎌倉への陶器の供給地だったんじゃないかと考えているんですよ。ここで作られた陶器が、相模川を通って鎌倉に運ばれたんじゃないかと思っているんです」
実際、津久井方面から来て相模湖ピクニックランドの正面ゲート前に出てくる道は、旧鎌倉街道だったそうで、この地域は古くは鎌倉とは切っても切れない関係にあったようです。相模湖というと昭和22年にできた新しい人造湖というイメージしかありませんでしたが、本当は古い歴史のある場所だったんですね。
「藤野から上野原にかけての河原には、上流から焼き物の釉薬に適したとてもよい石が流されてくるんです」
上流には徳川時代陶器の産地だったことを示す「百間干場(ひゃっけんほしば)」や「瀬戸」という地名が残っており、石井さんはそうした地名を手がかりに材料探しをしたといいます。
「夢中になって野山を歩くうち、いつのまにか結婚もしそびれてしまった」と笑う石井さんですが、相模湖焼を語るときの優しい表情は、子供を語る時の父親さながらです。
「相模湖焼の特徴は独特のあったかさです。大地がくれる自然の材料をそのまま使っているから、不純物を沢山含んでいる。それが焼き物に暖かみを与えるんですね」
相模湖焼に使われる主な材料
(1)陣馬山の麓で採れる粘土(右上)
(2)白い釉薬となる相模川系統の石英斑岩(右下)
(3)黒や茶の釉薬となる小仏峠周辺の凝灰石(左下)
(4)相模川周辺のススキの灰(左上)