丹沢湖
2018月12月17日

要望型から創意工夫型へ。「意識の変化」が山と地域を変えていく-NPO法人共和のもり 井上正文さん

神奈川県足柄上郡山北町、丹沢湖近くの標高300Mほどの山の上。旧共和村(1955年に共和村・三保村・清水村が合併)の名称を受け継ぐこの地域に、様々なことを仕掛ける70代の男性が2人います。今回はそのひとりである、NPO法人共和のもり 理事長の井上正文(いのうえ・まさふみ)さんにお話を伺いました。
※もう1人の富山基録さんの紹介はリンクよりご覧下さい。

近年ニュースでもよく聞く災害の1つでもある山崩れ。多くの地域で問題となっている鳥獣被害。もはや他人事ではないそれらの課題は山づくりと密接に繋がっています。
そのような大きな課題に対して、前向きに取り組み、創意工夫を凝らすことによって地域を変えつつある井上さん。どのように考え、取り組んできたのか、またこれからの展望についてお話していただきました。

災害の根本的な原因とは?水源林保全だけではない山の課題と向き合う

―下草が青々と茂り、日差しが差し込む共和の森

まずはじめに、井上さんは会議室へ向かうのではなく、山の中を案内してくれました。
舗装された道ではなく、草が生い茂り、伐採した木が所々に残る道を軽々と歩いていく井上さん。今年74才(取材当時)とは思えない足腰の強さです。切り株の前で立ち止まり、NPO法人共和のもりの活動のひとつである、間伐について説明していただきました。

「間伐の目的は、日の光を地面に当てて、下層植生(かそうしょくせい:森や林に生える丈の低い草木。)を豊かにすることです。これをやらないと、辺りは鬱蒼(うっそう)として真っ暗になってしまい、植物が生えません。」

-山北町議会議員でもある井上さんの正装は、スーツではなく作業服

「ではなぜ、下層植生を育てる必要があるのか。それは災害に強い山にしていかなきゃいけないからなんです。近年起きた土石流などは山の手入れが行き届いてないから起こったものでしょうね。間伐をせずに山を放置していると、岩や土がむきだしになっている裸地(らち)が増え、その表面が大量の雨に流されて簡単に土石流が発生してしまう。

だから日本中でやらなきゃいけないことは、伐期(ばっき)を迎えた”森の間伐”なんです。下層植生を豊かにすることによって、災害に強い山を作らなきゃならない。それだけではなくて、動物が暮らせる山を作ることも重要です。そのためには、動物の餌となる木の実をつける広葉樹を植えたり、複層林(ふくそうりん:齢や樹種の違う木で構成される複層状態の森林)を育み、森林を豊かにしつつ動物の住める環境も整えよう。そういう取り組みを一斉にしないとだめだと思います。

-間伐で切り倒された木の切り口

そういったことに気づき、山をなんとかしないといけないと考えて動き始めた自治体もありますが、やり方がわからないところが多いというのが現状です。神奈川県もやっと動き出してくれて、この辺の森は丹沢湖の水源になっているので、水源林の整備としてお金をいただいてやらせてもらっています。ようやく光が少しずつ差すようになってきたけれど、まだ全然足りていない。

この取り組みをみんなが急いでやらないといけないんです。今もう植えてから60年70年経っているここら辺の木は伐期がきていて、切りたいけどお金にならないから切れない。そんな悪循環が続いています。

間伐も昔は男仕事のように思われてきましたが、今は子どもや女性でもできるんです。
川崎市と山北町の交流事業では、いい水を送るための水源林の大切さや間伐をやる理由を子ども達に説明した後、実際に木を倒しています。皮剥き間伐など、いろんな間伐の方法がありますが、木の皮を剥がす作業なんかは幼稚園の先生も楽しそうにやりますよ。

それに、地元の人でなくても“山のレスキュー”に携わってもらうことも可能です。川崎市とは交流事業だけではなく、小学校に出向いて出前授業もしています。そこでは「どんぐり会員」の活動の普及を通して、水源地域の人だけではなくて水の利用者の川崎市民であっても山を豊かにすることはできると伝えています。
豊かな山を作るには広葉樹であるどんぐりの苗木が必要なのですが、苗木は買うと高額なコストになります。そこで、川崎市で暮らすどんぐり会員に、拾ったどんぐりを苗木まで育ててもらい、それを共和地域に提供してもらうんです。現場で間伐や下草狩りをしてもらうことも大切だけど、水源地域の山があってこそ県民のおいしい飲み水が作られているのだから、飲み水を利用する人と、我々地元の人間とで山づくりは一体となって行うこともできるのだと水の利用者には理解してほしいのです。」

地域の変革は個人の意識の変化から始まった

NPO法人共和のもりは「災害に強い山」「動物がすめる山」「お金を稼げる山」「乱開発業者から山を守る」という目的のもと、植樹活動や川崎市との交流事業、山の保全と再生、福祉バスの運行、林業の里づくり、農業の里づくり…などなど、地域住民や地元自治体と連携しながら日々精力的に活動しています。
どうしてこのように活発な取り組みができるのでしょうか。

-NPO共和のもりの設立から現在までを語る井上さん

「我々も偉そうに言うほどまだやれていません。5〜6年前にこの山をなんとかしなきゃいけないと地域で考え始めた時に、間伐を勉強してようやくわかってきたんです。

きっかけは、県や町の担当部署と衝突したことでした。当時、目的を見失った水源地域交流活動に、住民もしぶしぶ会議に参加し、終わった後に文句をいう、そんな状況でした。あんまりにみんなが文句を言うから、「そんな意味のない会議やめちゃえよ」って私は言ったんだけれど、みんなは会議の席では勇気がなくて意見できないと言う。だから私が公に言って顰蹙(ひんしゅく)を買ったんです(笑)。

県や町はやまなみ五湖の恩恵に預かっている地域の人に水源地域に来てもらい、水源地での体験を通して水源地域への理解を深める活動を行っていました。ですが、私たちはとにかく山を守りたいという一心だったので、行政の取り組みの意義を理解できないでいました。体験といった甘っちょろいことなんかじゃ山を守ることはできないし、とにかく現場で森の整備をしてもらうことが大切だと思っていました。
ですが、県や町とやりとりしていく中で気が付いたんです。共和地域が生き残っていくには、県や町が行う取り組みも必要だということに。そこから、共和地域を元気にするにはどうしたらよいか考えていきました。そして、私自身、そして地域の人がそれまで目もくれなかった”自然の恵み”を見つめなおしました。

それまではむしろ、山は手入れするのも面倒で嫌なものだとすら思っていました。だから全部人任せ。山づくりも全て森林組合に丸投げで、住民はどこに自分たちの山があるかすらもわからず、どんな山にしたいかの目的もなかった。

-共和地域でやりたいことを視覚化したグランドデザイン

「そこで何年も話しあってこの共和のもりの「グランドデザイン」を作り上げたんです。
どんな地域にしたいのかと、活動ごとに担当者をつけることによって「夢」を現実に実行できる形にデザインしていったんです。こういう取り組みをやっていかないと、この地域はやがてはなくなってしまう。意識の変化の流れの中で、今度は我々が、県が言っている以上に水源地を大事にしないとこの地域が生き延びられないということがわかってきました。

だから、このような活動は、何よりもまず自分たちが変わらなきゃ出来なかった。
私たちは、本当の意味で地域を見つめていなかったんです。過去自分たちがそうであったように、「国が、県が、町が○○○をしてくれない。」という、人任せで文句ばっかりの「要望型」では地域が持つ資源には気づけません。自分たちが地域を変えるという意識をもたないと賛同者は生まれないし、地域は活気づいていかない。
それを気づかせてくれたのが実は、県や町であったのです。あの時の会議で本音で話さなければ、きっとまだあのままで意識は変わっていなかったでしょうね。“自分たちが地域を変えるんだ”と意識改革できたおかげでこれらの活動が出来ています。地域の資源を見つめる力がつき、資源の発掘につながった。私自身や住人の意識、そして地域も変わっていきました。」

楽しそうな雰囲気に集まってくる若者と、賑わいだす共和のもり

-間伐によって林の中にもよく日が差すようになった

このような意識改革によって、共和で開催されるイベントには多くの人が訪れ、さらに若い林業家や酪農家がこの地域に移住してきています。そうした地域の変化を教えていただきました。

「若い林業家が一人、女性ですよ。最近子どもが生まれて夫婦で住んでいる方がいます。旦那さんはもともと農業をやりたかった人で、彼も奥さんに影響されて、今や2人が中心になって林業をやってくれています。

また、大学とは結構関わりを持っていて、産官学の取り組みを行ったりしています。文教大学の学生さんが共和地域の魅力を見つける「宝探し」をしてくれて、地元がわかる地図を作ってくれたり。そうしたら、そのゼミの第1期生の一人が就職でここにきちゃった(笑)。ここで生活したいですって言ってくれて、今はパン屋をやっています。

あとは酪農をやっている方もいます。この方の指導者は、かねてより私が会いたいと思っていた中洞 正(なかほら・ただし)さんという方で、山地(やまち)酪農の第一人者なんです。」

-山地酪農を細かく丁寧に説明する手書きのポスター

「中洞さんの考えでは、牛は牛舎ではなく放し飼いにし、野芝を生やして牛に食べさせ、糞が肥料になる。その循環が災害に強い山を作るという持論を持っている人なんです。私たちの考えと一致するでしょう。中洞さんの弟子たちが日本全国の荒れた山に行って、山地酪農をやっています。

あとは一番最近で言うと、藍染めをやりたいということで親子で藤沢から越してきた方がいます。その方が今度は馬を飼いたいと言い出して…。

非常に面白いでしょう。そういう人たちがなぜか寄ってくるんです。
でも、我々が昔のままだったら、若い人もおそらく寄ってこなかったと思います。
今は、私自身が自然の価値をこんなにも感じています。この自然の魅力に気づかないのは不思議だと思うくらい(笑)、自然の面白さに気づきました。

そんな感じでやっているもんだから、外から見た人たちが言うんですよね。
「共和の水源交流はみんな楽しそうにやっているけど、なぜなんですか」と。
そう見えるはずですよ。我々も楽しいんだもん。我々が面白くないと思うことはやらないし、ほら、みんなが帰った後にブーブー言うような人たちが事業をやったら、多分そういう雰囲気が態度や顔にも出るんですよね。それが意識の違いなんです。

そうなってくると、やることなすことみんな楽しいから、あとは優先順位をつけて、できるだけ経済効果を産むようなこと、あるいは資本をかけないで山づくりをするなど、考えればできちゃうんです。」

-木の状態を見る井上さん

「そして自分たちの年代の人たちに、地域への団結力が生まれてきました。
国や県にお世話になっていることはほとんどなく、NPOを作った時も専門家なんていなかった。だけど、やろうと決めて工夫すれば、本当にできちゃう。要望型の時は「専門家を呼ばないとできない」と言っていたと思う。
我々も山づくりは専門家に来てもらって勉強会を開きましたが、それも今ではいらなくなりました。ネットで調べればすぐにわかるから。
でも、大事なことはそうじゃなくて、「地域が生き延びるために、地域の団結力をもって、地域が目的を持って生きる」というものです。それがないと何をやったって「うざったくてめんどくさい」という議論が出ます。共和地域も昔は紛れもなくそういう議論ばかりでした。問題はまだたくさんあります。ですが、

何度でも言います。”意識”が変わらないと何も見えてこない。
それを変えさせてくれたのは、県であり山北の役場、つまり私がぶつかったところです。自分が一番反省しました。この反省がないと今のようにはならなかった。感謝しています。だから、かつて言うことを聞かなかった私が、今や県や町の言うことを聞く一番の子分です(笑)。

まだ町は大きく変わっていません。この地域が少し変わっただけ。ですがね、面白いですよ。楽しいから次の手、次の手……と発展的に進んで行きます。茅葺屋根、健康食品、家庭菜園などなど…今後も次々に面白い人たちとのコラボを仕掛けていきます。」

井上さんの頭の中には、これから仕掛けていこうとするアイデアがたくさんつまっているようでした。“また新しいイベントができあがったら、ぜひ記事にしてくださいよ!”と言われたときの楽しそうな表情がとても印象的でした。

関連リンク:本質を追求し、知恵と体験を届ける教育者ーNPO法人共和のもり 富山基録さん

おすすめの里の案内人記事

相模湖 2023年12月19日

水源地域での暮らしそのものが、貴重な観光体験コンテンツ 藤野里山体験ツアー運営協議会

神奈川と山梨の県境、相模原市の北西部にある藤野地区(緑区)は、藤野15名山と称される山々が折り重なった場所にあり、富士山麓を源流とする相模川水系と、その水を蓄える相模湖を有する、緑と水に恵まれた水源地域です。「藤野里山体験ツアー」は、こうした自然あふれる里山の民家に日帰りステイし…