やまなみの歴史探訪(津久井城攻略) ~その4~

相模原市緑区(旧:津久井町)

山頂への道

■城山キャッスリングコース

★山頂攻略コースの難易度

このコースの歩きやすさの難易度は?というと全体的には“ハイキングレベル”ですが・・

さすがに戦国の要塞!

ところどころに傾斜もきつく、岩の露出した滑りやすい箇所があります。

ですから、軽登山靴などで足元をしっかり装備して望むのが吉です!

右の写真は「男坂」の最上部の斜面です。

男坂の難所

十一.堀切と引橋

男坂を登りきると3方向へ道が分岐します。これを山頂方向に進みしばらく進むと急な下り坂が現れますが、それが「堀切(ほりきり)と引橋(ひきはし)」です。

歴史おりえんてーりんぐコースの「九.竪堀と切岸」にも出てきた堀ですが、ここの堀は尾根をV字状に切り取った「堀切(ほりきり)」です。「堀切」には通常は橋が掛けられておりますが、戦になると外すことがでる「引橋(ひきはし)」が掛けられていたと思われます。

「堀切と引橋」の現地解説図を右に添付しました。

堀切と引橋

堀切と引橋(解説図)

十二.太鼓曲輪

さらに山頂方向に進むと「太鼓曲輪(たいこくるわ)」の標識が現れます。

曲輪(くるわ)は、山の斜面に施設を作れるように整地した平らな場所です。棚田を思い浮かべてみると良いと思います(曲輪を“郭”と書く場合もある様です)。

太鼓曲輪は「ここで陣太鼓が打ち鳴らされた」という伝承があるそうです。

山頂解説図から 山頂付近はたくさんの曲輪による曲輪群を構成しています。

右の画像は山頂に掲示されている解説板に描かれている曲輪群等の絵図ですが、津久井城という戦国要塞の施設が詳しく描かれています。

太鼓曲輪

山頂解説図から

十三.土蔵

いよいよ山頂付近ですが、まず目に入ってくるのが「土蔵(どぞう)」です。

右の画像の赤枠部分には石が並んでいますが、土蔵の基礎部分なのかもしれないとのことです。

この他にも山頂の本城曲輪(ほんじょうくるわ)周辺には「米蔵」などの施設の跡があり、戦のときの兵糧(食)を蓄えていたのでしょう。

土蔵の奥から東方向には「新小倉橋~バイパス方面」、橋本駅周辺のビルなどがよく見えます。

トップの写真「新小倉橋からの城山」の撮影ポイントを見下ろす場所に位置しています。

土蔵

土蔵からの眺望

十四.津久井古城記の碑

本城曲輪の土塁(どるい)の上に立てられている碑が「津久井古城記の碑」です。江戸時代の後期に津久井城城主内藤氏の家臣だった島崎氏の子孫によって立てられたものです。

津久井城のなりたちや島崎氏の祖先のことなどが、751文字の漢文で書かれている高さ約1.5メートルの石碑です。

「津久井古城記の碑」は「関東ふれあいの道・神奈川の13番コース~山里から津久井湖へのみち~」の撮影ポイントにもなっています。

※土塁:敵の侵入を防ぐため、周囲に築かれた連続した土盛りのこと

十五.本城曲輪

本城曲輪=山頂(標高375メートル)に到着です。

「津久井古城記の碑」は本城曲輪の土塁にある。と前記しましたが、右の写真の平たい部分が本城曲輪で赤線より上の土手が土塁です。

戦(いくさ)の際に“いよいよ敵が本城に攻めてきた”、そんな時の最後のトラップとなるのが土塁なのでしょう。

★“愛”は来たか?

ここでちょっとコラムなのですが、先日NHKで放映中の「天地人」でも「豊臣秀吉の北条攻め」が放映されました。

その放映の少し前にパークセンターのスタッフと今回の記事執筆についてのメールをやりとりをしていたのですが・・

「直江兼続は津久井を訪れたのでしょうか?」という問いに対してスタッフ氏は回答のメールに「愛は来たか?」という件名を付けた返信をくださいました(とても楽しいノリですね・・)。

さて、“愛”は来たか?についてですが、直江兼続が北条攻めの際に戦った場所は「八王子城」だったとの事。

「八王子城」を落とした後に「小田原の本陣」に出向いたという記録もあり。また、別の戦で「八王子城」で戦った武将が「小仏峠を越えた」という記録もあることから「本陣へ向かう“愛”は津久井を経由した」かも知れませんね・・

津久井古城碑

本城曲輪