津久井のお姫様伝説の地を訪ねて ~梅の香りとともに~(前編)

相模原市緑区(旧:津久井町)

神の川の折花神社→ 折姫宮→雛鶴姫像

寒さ厳しいなか、春の気配を少しだけ感じることが出来る季節です。梅の香りとともに今回の特集は、津久井に伝わる戦乱の悲しい伝説の主人公となった三姫を偲び、この地を訪ねてみました。雛鶴姫、串川姫、折花姫、…三姫のゆかりの地をご案内します。きっと遠い時代のお姫様たちの想いを感じていただけるのではないでしょうか。

関連リンク:参考URL:相模原の歴史シリーズ

■雛鶴姫(ひなづるひめ)
時は鎌倉時代後期、後醍醐天皇の皇子である護良親王(もりよししんのう)は、父である後醍醐天皇の志と反発し、泰平成就と朝廷の復興の願いにより、足利尊氏の暗殺を目論みました。しかし、1335年7月、足利尊氏の弟、足利直義は北条時行と鎌倉奪取の戦いに敗れ、鎌倉を北条軍に奪還されてしまった際に、護良親王を捕らえて鎌倉の薬師ヶ谷(鎌倉:二階堂ヶ谷「にかいどうがやつ」)の土牢に幽閉しました。そして、足利直義は、鎌倉を逃げ延びる途中、家来の淵辺義博に命じ、護良親王の首をはねさせました。
護良親王に使えていた雛鶴姫は、この惨事を聞き駆けつけ、護良親王の御首を竹薮の中で捜し求め、やっとのことでその御首を拾い上げました。そして、御首と共に鎌倉を逃れようとしました。その御首を家来の松本宗忠がこれを持ち、京へ向かう途中、雛鶴姫の一行は追っ手を避けて大山にこもり、さらに甲斐の国へ逃げようと、この津久井の青山にたどり着いたのだそうです。

ところが、雛鶴姫は長旅の疲れがもとで発病し、やむなくこの地に滞在しました。百ヶ日も過ぎ、十二月のなかばに一行は、さらに追っ手から逃れるためこの津久井の地を発ち、西へ向かいました。
甲斐の秋山、無生野まで来たとき、折悪しく雛鶴姫は、産気づいてしまったのです。実は護良親王の子を宿しておりました。供の者達はやむなく、木の葉を集めて床を作り、そこを産所として、雛鶴姫は皇子を産みました。しかし、時は師走、吹く風冷たく、その寒さと疲労の為に一行の懸命な祈りも空しく、雛鶴姫も皇子も亡くなられてしまったのだそうです。

甲斐の国へ逃げようと   津久井へ

雛鶴峠

関連リンク:国土地理院地図参照

あまりの悲しさに、供の者達は姫と皇子の亡骸を近くに葬り、護良親王の御首及び錦旗を甲斐の石船神社に祀りました。

雛鶴峠は、雛鶴姫が愛する護良親王の御首を抱き、涙ながらに越えた峠を「無生野」として、生きるすべもなく雛鶴姫も皇子も短い命を散らせてしまった地として「無常野」を意味して名付けられたと伝えられているそうです。

雛鶴姫伝説は、この津久井から甲斐の国に向けての、戦国のあまりにも悲しい伝説です。

●雛鶴姫・ゆかりの地
一行がたどり着いた津久井の青山の地から
さらに甲斐の国に逃れようと越えた雛鶴峠周辺

雛鶴神社

雛鶴峠周辺

関連リンク:参考URL:相模原の歴史シリーズ

■櫛川姫(くしかわひめ)
その昔、津久井の鳥屋に一人の凛々しい若者がいたそうです。ある夜、その若者は、笛をふきながら川上に向かっていました。その美しい音色にひかれるかのように、美しい女性(御屋敷御殿の姫君)が現れ、二人は出会いました。そして、やがて二人は恋におちました。しかし、二人の身分の差が大きな隔たりとなってしまいました。かたや御屋敷御殿の姫、一方は川下の部落の若者。二人は自由に会うことが許されませんでした。そして、人目を忍んで逢ったある夜、若者は、金の縁取りがある自分の顔を刻んだ櫛(くし)を姫に贈りました。姫はたいそう喜んで肌身離さず大切に持っていたそうです。

ところが、ある晩、会えない日々の若者への恋しさから、姫は初めて出会った橋の上に立ち、「この川下に行けば、あの若者に逢える」と思い、姫はその場にうなだれてしまいました。そのときです・・・若者から贈られた大切な櫛を川に落としてしまったそうです。川の流れは速く、大切な櫛はたちまち行方がわからなくなり、姫は二人の愛もこの櫛と共に流れ去ってしまうのではないかと泣き悲しんだそうです。
このことは、若者の耳にも入りましたが、若者もこのことで二人の愛を断ち切るものになるとは夢にも思っていませんでした。しかし、暗い影が差し込んできたのは事実になりました。
姫は毎日毎日、川の中を探しつづけるのでした。その姿を見た人々の目には、さぞかし痛ましく映るほどだったのでしょう。
それ以来、この川は櫛川(串川)と呼ばれ現在に至っているそうです。
かなわぬ悲恋の物語が、この地の串川姫伝説です。

●櫛川姫・ゆかりの地
津久井の鳥屋
(御屋敷御殿の姫君:現在は地名のみ残っています。)
小倉橋周辺
串川下流の小倉には櫛を祀った小櫛堂跡があったそうです。
(現在はお堂はありません)
青山地区から小倉橋地区川原橋

串川周辺

関連リンク:参考URL:相模原の歴史シリーズ関連リンク:国土地理院地図参照